即物的簡潔主義者の悪文グルーヴ

都内で院生やってる男が吠えます。遠く吠えます。

開始宣言。

 

さて、即物的簡潔主義者の悪文グルーヴ、はじまります。

このブログは、齢23にしていまだ自己と世間のギャップに悩む不肖ワタクシmutifictionoonが、その身体と言葉でこねた思考を垂れ流し、やがて世間の需要と「私」の本音が接続される場所を発見、ついに成功へと至る(予定の)プロセスをつづった(よくある)ブログである。

というのも、おれはどうも平均値を大きく超えて思索的な人間らしい、のである。思索的といえばまあ聞こえはいいが、要はとっても頭でっかちで、友人としゃべっていても、なんというか、主張の強さが過ぎる。我ながら理屈と分析の応酬がやかましいのである。

これはたぶん表現欲求とそれを実現するための場のアンバランスが起こす問題で、ほらまたもっともらしく分析しているわけであるが、表現欲を満たす場としてこそこういうブログを利用すべき思い立ったわけだ。いやーネットってすばらしいな。ツイッターは短すぎるしフェイスブックは実名だから好き勝手に垂れ流せない。

思考は文字化され固定されることで更新する。あるいは、より内面に浸透して「あえて言うまでもない」レベルにまで深化する。そうなってはじめて思考は実践される。だからこのような表現の場を持つのは、誰よりもまず「私のため」である。まずはこのことを十分に自覚の上で、ここに並んだ悪文たちがなんらかの普遍性を持ちえたならよろしいな、とこう思うわけです。

ほんとはおれは、理念的かつ冗長な人間であるが、論理一本槍を要求する社会的な「場」はとてもとても少ない。どうやら社会の枠組みは、野性的な直観と、これを肉付けする簡潔な論理によって支えられた人間を実は欲しているようである。おれはこれを全く批判しません。批判どころかそうなりたいのである。

いわゆる「デキる大人」的な人物像はまったく興味ない、どころかむしろうさんくささしか感じないが(大学でたまにその卵みたいな存在を見かけるが、アレたぶん背骨となる論理がないでしょ笑 スッカラカン)おれのようなクズ成分高めの人間が自己を掘り下げに掘り下げた結果、いわば裏側から突き抜けるような形で、社会と接続することは可能なはずである。というか、そう頑なに信じている笑。

というわけで、再度。即物的簡潔主義者の悪文グルーヴ、はじめます。