即物的簡潔主義者の悪文グルーヴ

都内で院生やってる男が吠えます。遠く吠えます。

【教育論①】高学歴は「頭がいい」という事実

挑発的タイトルですがふつうなことしかいいません。

頭がいい、とはなんだろうか?
答えは簡単で、文字通り「良い」「頭」を持っているということだろう。これをもう少し噛み砕いて言えば、その領域において最善の結果を出しうる脳みそを持っているということになるとおもう。

この、その領域において、という留保が大切だ。つまり「頭がいい」は絶対的な概念ではない。商品の素晴らしさを効果的に説明しお客さんを魅了する営業マンは、営業という分野においてとっても「良い」「頭」を持っているだろう。多くの人々を深く感動させる詩をかける人は芸術分野において「良い」「頭」を持ってるに違いない。同様に、学校の成績が優秀な人々は学業の分野において「良い」「頭」を持っている。
ゆえに「高学歴」は(学業の分野において)「頭がいい」。
ちがいますかね?

単なる言葉遊びみたいになってしまいましたが。

高学歴だからって頭がいいとは限らない!!という言説に関しては、個人的にはもういいからうるせえよってのが素直なところである。
おれは東大とかじゃないがまぁ世間的にはイイとされる大学を出てて、友人にもそういうイイ大学→有名企業に就職した奴が多いわけだが、パッパやマッマやセンセのいう通りたくさん勉強したからボクはエライんだなんてイマドキ思ってる愚鈍な人間なんてほとんどいなかったし、たまにそういう気配のある奴がいても大抵次のステップでこけそうになって血反吐吐くように苦悩してるのでご安心?ください、と言いたいのである。

こういう言葉が盛んに叫ばれる背景には、やはり「高学歴」が(絶対的な意味で)「頭がいい」と思われていた時代があったのだろう。学校という場ではペーパーテストによる学力評価が大きな割合を占めるところ、学校ってのはものすごく閉鎖的なムラ社会だから、それによって学業優秀=社会全体で通用する絶対的な「頭の良さ」という誤解が発生したのかしらね。
学業に限らず絶対的な「頭の良さ」、つまりいかなる領域でも最善の結果を生み出せるスーパーマンなんているわけなくて、それはコミュ力強者とされるリア充だって別に変わらないんじゃないのとおれは思うのだが、どーも社会とか世間は適材適所というのを認めたがらず、「頭の良さ」をあらわす絶対的指標がほしいらしい。で、包括しようしすぎた挙句に人間力とかいいだす始末である。 なんだよ人間力ってw これは「人間として真っ当に生きるには人間として真っ当に生きる力が必要です」と言ってるのと同じで、つまりは何も言ってない。

さて、そんなわけで昨今いろんな方面から問題点が指摘される学歴社会であるが、典型的な学歴批判といえばこんなところだろう。

・学力テストはしょせん知識の詰め込みにすぎず、正解のある問題だ。だから自分の頭でモノを考える力がついていない。しかし、社会に出たら問題も答えも自力で導き、解決せねばならない。よって学力テストの優秀さに意味はない。

・学力テストの対策には膨大な時間がかかる。青春期の貴重な時間を知識の詰め込みに費やせば、他の人々とのコミュニケーションが疎かになる。ところが、社会というのは他人とのコミュニケーションで成り立っている。そこで勉強ばかりしてきたガリ勉根暗は役に立たない。よって学力テストの優秀さに意味はない。

まあツッコミだせばキリはないわけだが、これらの主張にも一面の真実は含まれているだろう。試験対策特有の細かい知識の詰め方はほんとしょーもないなと思わないでもないし、そういうのに時間費やすくらいならもっと有用な経験を積んだほうが豊かな人生を送れたんじゃないかとおれ自身思うところは多分にあるのだ。

そもそも今のゆとり教育というのはこうした知識詰め込み型教育に対する反省を出発点にしたものだった。と、いっても企業社会の側が学歴偏重の採用基準を全然変えないので、結局そういうギャップを読み取った富裕層のママたちがお受験塾に殺到して学力格差が広がっただけらしいのだが、いまだに続くゆとり教育批判と学歴批判を並べてみると、この「ペーパーテスト的学力」と「社会人としての人格形成」との間に横たわるキョリ感について、今だに社会的なコンセンサスが形成されてないんだなと強く感じさせられる。

だってそうでしょう。ゆとり世代は主体性がない、と批判され、学力低下が問題視されてるが、いやいやいや、そもそもゆとり教育制度を採用して授業時間を減らした時点で(ペーパーテスト的な意味での)学力低下は想定済みのハズだし、そこに価値を見出すのやめたんじゃなかったのかね。さらに言ってしまえば、ゆとり教育を受けた若者には社会人としての適性がない、という批判をしてしまうと、ペーパーテスト的学力と社会的人格形成に密接な関連性を見出す旧時代的学歴主義と同んなじ発想をしちゃうことになるんだけど。
結局どっちなんだい?ほんとにペーパーテスト的学力が社会人に不要なら、学力低下で騒ぐ必要もないハズだし、若者の素行の悪さの原因をゆとり教育に求めるのはおかしいでしょ

と、いうわけで、このペーパーテスト的学力と社会人としての人格形成との関係性を、今、どう捉えるべきなのか、そして教育はどうあるべきなのかという点について、(社会人経験のない、たぶん社会人として相当クズの部類に入るであろう)おれが次回語るのであった。ちゃんちゃん。

 

学歴無用論 (朝日文庫)

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